一箇所だけ視覚障害者用なのか、渡り先が赤の場合、「信号が赤です」って警報がなる信号がある。
最近段々と暖かくなってきたから、上着きてれば普通に寒くないんだけど、昨日は何故か震えがあって
体調悪いのかなくらいに思ってた。
その信号がある交差点で、車とか人はいなかったんだけど、赤だったから待ってた。
そしたら、「信号が赤です」って警報がなった。
恐らくセンサーで、横断歩道の手前で反応してなる仕組みだと思うんだけど、
その時俺は横断歩道より全然手前で、センサーが反応しないような位置で待ってた。
しかも、警報一回鳴ったら、インターバルあると思ってたんだけど、
「信号が赤です」
「信号が赤です」
「信号が赤です」
って連続で3回鳴って、なんかきみわるいと思ってたら
誰もいない向こう側からも
「信号が赤です」
って鳴って、やばいと思った。
青になった瞬間全力で帰って、冷や汗やばくて
怖すぎて中々寝れなくて
1時間過ぎたくらいでやっと寝れて
それ以来よく眠れない日はあの警報が聞こえてきそうで怖い。
中3で受験勉強のために塾に通っていて そこそこの頻度で塾に行ってた
その日は新年最初の授業でまだかなり寒くて雪が降るような日だった
いつもどおり塾に行こうと近所を歩いていた 近所は普通の住宅街で
迷路みたいに私道とかが入り組んでる とはいえ死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?近所なので迷うことがあるはずなかった でもその日はなんか違った いつも通りの道順で進んで
知ってる家の前を通り過ぎているのに その街から抜け出せない
以下 その街のおかしい点
・雪が降るほど寒い筈なのに 春みたいに暖かった
・自分以外の人間に会わない
・その街だけ気持ち悪いほど静か
・家の電気は一軒もついていない
・塾がある最寄り駅の方向は普通に賑やかそう
と思いながら最初はなんか楽しんでる自分がいた 一時間ほど近所で遭難して 流石にやべぇと思い とにかく何が何でも塾に行こうと思った私は
光がある方に走った ひたすら ゼーハーゼーハー息を切らしながら走った
走ってちょっと歩いてまた走ってをバカみたいに繰り返した
三十分くらい走ってたら その街で初めて電気がついていて話し声がする家を見つけた その家(きれいな新し目の一軒家)を見たときはホッとしたが
不自然さにすぐに気づいた やばいやつだと思い 目をつぶって走った
その直後 ねっとりとして生暖かいものに触られた気がした 見ていないのに それは水色だと分かった 動けない いわゆる金縛り?的な感じになった そしてしばらくすると 水色のネトネトは波が引くみたいに すぅっといなくなった 気づくと駅前ロータリーのトコのバス停にいた(なぜに?)
その後塾に行ったら 5分遅刻していた でもおかしい “街”にいたのが2時間いかないくらいで金縛りが十分くらい 怒られるの覚悟で行ったので
拍子抜けした
以上が内容です 当時スマホは持ってなかったのですが 持ってたら
実況してたかも 後日談的なのは特になく 何が何だったかも分かりません
ただ あの明かりのついた家に行ってたら・・・というのは考えないようにしています いろいろ腑に落ない話ですし読みにくくてすいません 以上 長文失礼しました
まあそんな大した話じゃないんだけどな。
洗面台の鏡の前で自分を見つめながら、手を上にあげて自分の頭の上でパチパチと2回連続で叩く。
なんとなくこれをやったんだが、やった直後に胸騒ぎがするようなすごく嫌な気分になったから、速攻で洗面所を抜け出した。
電話かかってきてどんどん近づいてくるってやつ
実はあれ、自分が子供の頃にはなかった怪談話なんだよね
それの元になっただろう怖い話が
ほんこわ漫画に載ってから一気に広まった
メリーさんが有名になりすぎて
ほんこわで読んでもメリーさんのパクリと言われてるのが可哀想
逆だ逆!と言いたい
近づいてくるパターンってけっこう古典的なイメージあるけど
35年くらい前かな
携帯も全然なかった頃に掲載されていたと思う
確か漫画家さんの体験談かご友人の体験談だったはず
印象的な話だったから覚えてる
交通事故で亡くなった彼氏がその事故死した現場から彼女の家に公衆電話から電話をかけてくる
今どこどこの公衆電話にいるから
もうちょっと待っててみたいな感じで
数日おきに少しづつ近づいてくるみたいな
彼女が怖くて友人に相談して
もうすぐ家に来るって時の電話で
彼女じゃなく友人が電話に出て
今角のタバコ屋からかけてるみたいに話した時に
貴方は死んでるんですよって言ったら
すぐ電話が切れてそれからかかってこなくなったっていう話
あっさりしててぶっちゃけ怖くないんだけどだから余計に周りと浮いてた記憶がある
なるほど、ありがとう
『ほんとにあった怖い話』は1987年創刊だから、創刊直後ぐらいなのかな?
今度調べてみます
そんな漫画が創刊されるしばらく前に子供だった私は子供の時にすでにメリーさんの話知ってるけどね
今更だけど気になったのであれだけど
元はメリーさんじゃなくてリカちゃんだよね
リカちゃん電話ってのが当時あって(今でもあるらしい)、電話をかけると「わたしリカちゃん」って答えてくれる子供向けのサービス
それが他の怪談と複合されて、メディア露出するにあたって商品名を避けてメリーさんに落ち着いたのではないかと思われる
大元の元ネタは何かといったら、もう学校の七不思議レベルではっきりした出元はわからない口承怪談ではないかなあ
怖いな
その前にあったハロウィンって朝日ソノラマから出てた月刊誌(少女漫画で怪奇ものや伝記物や霊現象とかテーマで発行してた不思議系漫画)の別冊で出してた心霊特集雑誌かイマイチ覚えてない
とりあえずそれくらいの時期
自分の年齢から逆算してるからかなりうろ覚えなんでごめんよ
供養カキコ
三年位前、自殺した学生時代の先輩の携帯に連絡入れたらまさかの死んだ先輩本人と繋がって話しをした通話した
三か月前に死んでいて死体のある自室から黒服に会議室みたいなとこに通されて待機していた所突然携帯を渡されて自分が出たらしい
愚痴や辛かった事を聞いたり言いあったりしたあと死ぬ事は辛くなかったけど今になって後悔してる、三か月前に話しをしたかったと吐露していた
お互いに最後の別れを済ませて電話を切った
勿論すぐにかけ直しても繋がる筈はなかった
谷川岳の谷底
この大型連休中に「谷川岳」というワードを目にしたので、今でも忘れられない体験を投稿させていただきます。
あれは私が小学生の頃、両親と墓参りの帰りに谷川岳に行った時のことです。
東京から車で群馬の(母方の)祖父に会いに行き、祖母の仏壇に線香をあげたあと、その祖母が眠る霊園に寄り東京に帰るのがいつのも流れでした。
(群馬には私の母の姉2人がおり、祖父はそこの家族と一緒に行くことが多いからか「この前行ったからいい」と同伴する事は少なかった)
祖父に見送られ車で30分ほどの距離にある霊園での墓参りを終えたあと、私たち家族3人は谷川岳に寄ったのです。
群馬に行く日はテーマパークやバラ園的な場所に寄ってから帰ることがあり、その日に谷川岳へ行ったのも「群馬の観光地だから」程度の理由でしょう。
祖父宅に泊りで行った日だったのか、早朝に東京を出発した日帰りの日だったのかは覚えていませんが、谷川岳に着いたのはまだ日が高い時間帯のことでした。
谷川岳といっても本格的な登山ではなく、家族連れが短パンと運動靴で気軽に寄れるようなエリアです。
ロープウェイにも乗っておりません、駐車場から歩いて登っていける程度の場所です。
私は観光客をかきわけ、半ば単独行動気味に上へ向かっていました。
たまに振り返っては、父が母の手を取り後ろから歩いてくる姿を確認しながら。
少しすると、これ以上は上に行けないという広めの場所に出ました。
他の場所に比べたら標高は低いのでしょうが、いわゆる頂上です。
>>144
広さがあるとは言っても売店や展望台はなく、あとは引き返して帰るのみという場所。
昼間だったのに曇り空で薄暗く、それまでの道中より霧が濃かったです。
父が「山の天気は変わりやすい」なんて言っていたのを覚えています。
天気が良ければ眺めが良かったのでしょうが、霧のせいで景色は真っ白。
自分たちがいるその場所以外、他の山などは周囲に見えませんでした。
当時の私は、このような場所に来た経験がなかったため、目の前で霧が右から左に流れていく様を見て「雲に触れる~」と霧を手で掴もうと試みたものです。
登ったからには高さがあることは分かっています。
視界も悪く、流石にこの場所で調子に乗ってはマズいなと、はしゃがず大人しくしていました。
この場所ですることもない、あとは引き返して駐車場に戻るだけ。
そう思い歩いていると。
前方にあったはずの地面が、急に無くなったのです。
ここで一歩進んだら死ぬ、私はそんな崖に立っていました。
先ほどまで、自分の視界にはドッジボールが出来るほどの縦幅はあろう地面が広がっていたのに。
たまに霧が流れ視界が途切れるものの、地面および他の観光客の姿も見えていたのに、目の前が急に崖になったのです。
完全に奈落の底。
相当な高さの断崖絶壁が足元から下に伸びており、その先は雲だか霧だかで見えない。
それが絵本のようにクッションになるわけもなく、落ちたら絶対に助からない事は明白でした。
流石に小学生とはいえど、こんな危険な場所に立つ馬鹿はいないだろうという位置。
>>145
先ほどまで自分の目の前に広がっていた場所は何だったのか?
頭が真っ白になり動けず、足元もとい奈落の底から目を離すことが出来なくなっていました。
その断崖絶壁からは真横に数本の木々が伸びていました。
時計の針でいう3時の方向に樹木が伸びているのです。
方向感覚が90度ずれ、視界がゆがむ感覚。
自分が今いる場所が正しい面なのか、足元に広がる面が正しい面なのか。そんな不思議な感覚です。
子どもの私は、山だから真横に木が生えているのかな、なんて思ったものです。
そして。
その木々や岩肌をつたい、こちらによじ登ってくる影がいくつか見えたのです。
眼下、遠くに見えるとはいえ人にしては少し小さい、猿のような黒い影が。
灰色の断崖絶壁。
そこから垂直に伸びる白い樹木、そしてそのはるか下に広がる雲(霧)。
その中をユラユラとよじ登ってくる黒い影、この世の景色ではありませんでした。
>>145
ここにいたら、このままでは奴らの手が自分の足に届いてしまう。
ここから落ちたとして、数えるほどしか生えていない樹木に引っかかって助かる確率はゼロだろう。
真下に広がる崖底の雲の部分まで真っ逆さまだろうな。
そう考えるばかりで体が動かないのです。
そのあとの事はよく覚えていないのですが、ちゃんと両親と一緒に駐車場まで帰れました。
その場所の名が谷川岳だと知ったのは、私が成人してからのこと。
あの時のことが気になり、私が母に「小さい頃に群馬で行った霧が濃い山なんて言うの?」と聞いたからです。
そして昔の事件や、犠牲になられた方が世界で一番多い山だということを知りました。
あの場所で亡くなられた全ての方に、心からお悔やみ申しあげます。
谷川岳に限らず他にもエピソードがあるのですが、初投稿につき一度これにて失礼致します。
たぶん昔だと「狐に化かされた」って言われるパターンだな
まあ、山に行く時には眉に唾をぬっておくことだな
20年くらい前に付き合ってた男性とトラブって別れの危機に瀕してた。
今思うと何でそんなに別れたくなかったのか分からないけどその時はとにかく別れたくなかった。
でもすがり付く勇気なかったんで
白魔術だとか黒魔術とかいろいろな本を読んでとにかくおまじないを沢山沢山試した。
まあこんな根暗だから別れたかったんじゃないかとは思うけど当時必死だった。
連絡も途絶えてせめて一言くらい別れようとか言えよとか思ったりもした。
んで、おまじないで夜中起きてる事が多くて
学校の休憩時間はよく寝ていた。
そんで友人が用事あったみたいだから寝てる自分を起こそうとして「起きろー」って肩ポンポンされたんで眠いけど「なに?」って顔を上げたら友人がぎゃっ!っとか叫んで私から飛び退いた。
どんなお呪いしたの?
余りに昔過ぎて覚えてない。
本も実家にあるかないか分からないから、別れた相手と寄りを戻すとか疎遠になった相手から連絡がくるとかのおまじないのはず。
もっと強いのもあったけれど触媒(相手の髪爪持ち物等)がなかったので残念に思いながら諦めた記憶はあります。
名前と年齢と住んでる住所と方向だけでまじないしてました。
まじない内容は本当に覚えてないすみません。
ありがと
友人はじっと私の顔を見て「あ、やっぱり〇ちゃんだ」って言うから
「何それ」って聴いたら友人曰く自分の顔が全然違う人の顔になってたらしい凄い顔で睨まれたとか
気のせいでしょうって話でその時は終わった。
それからしばらくして連絡来なかった男性から連絡が来た。少し話がしたいと呼び出されて行ったらボロボロになってた男性がいた。
顔とか皮膚が爛れて赤くなってるし
頭に包帯とか腕を吊ってたりしてたからびっくりして心配で近づこうとしたら
触られたくないのかさっと避けられて怯えたような感じで「別れてほしい」って言われた。
それを言われた瞬間に別れたくないとかすがり付く気持ちかあっさり消えて
「うん」って返事して終わった。
それからおまじないも止めて違う人と結婚して今は子宝も授かり幸せに暮らしてる。
たいして怖い話でもないし偶然かもしれないけど
あの男性(元彼?)の酷い怪我って自分の所為だろうかと時々思う。
会うこともないから分からないんだけどね。
下手な文章ですみません。
狐って稲荷神社とか人を守ってくれるイメージしかないけど、一歩踏み外したらタヒぬような幻覚を無差別に見せるん?
谷川岳の滑落数ギネス最上級だけあって何かいるんじゃ?とは思ってしまう
谷川岳は観光地化しているところだけ見れば、ギネス級の死者数を不思議に思うのも当然です。
スキー場に行ったことある人なら、超常現象などなくても「一歩間違えれば死ぬ」とわかるかもしれませんが。
漫画「神々の山嶺」で「鬼スラ」と呼ばれている一ノ倉の第三スラブを見れば、そこを冬期登攀した人がいると言われても「嘘松乙」としか思えないほど過酷な環境です。
夏場であってもそのスラブにたどり着くまでが大変です。
さらに冬場は風や雪、氷に閉ざされているのですから。
このブログを見ても「この人たち頭のネジがないのでは?」と思いますよ。
chigasaki-mt.blogspot.com/2019/03/2019-32.html
山の中に明るい人家が見えたので行ってみようとしても、同行していた馬が動こうとしない
よく見てみると、人家などなく崖っぷちだった
これは狐に騙されたのだろう
という話は民話集でよく見るので、昔から同じような体験をする人は多かったんでしょう
ねずみの天ぷらを揚げれば、狐来るらしいぞ
元々はネズミ供えるらしいね
アゲになったのは人間の都合
また今年もGW中に水難事故があったね。
水難事故があるたびに思い出すのだが。
これは俺の体験談。
俺が小6のとき同級生(以降A君)が川に溺れて死んだ。
当初は行方不明となっていが、数日たって川で遺体となって発見された。
でもこれは俺の中ではただの不慮の事故でないと思っている。
A君は俺と一緒に釣りをする友達だった。
小学校5年生のときにA君と俺は同じクラスになった。
お互いに釣りをすると知ってからは、必ず二人で一緒に釣りに行くまで仲良くなった。
小学校5年生の夏休みはほぼ毎日と言っていいほど二人で釣りに行っていた。
6年生になっての春。
雪が解けて自転車も解禁になり、釣りシーズンが始まって間もない頃の6月のあの日。
A君が別の同じクラスの子(B君)を連れて釣りに行く途中の姿を目撃した。
A君と一緒にいたB君は、俺と馬の合わない子だった。
B君は、俺やA君にライバル意識があったからか、事あるごとにマウントを取って来るような子。
たとえば俺があるゲームでハイスコアを出したというと、B君は「俺はお前より1万点高い」などという具合に。
子供のつまらない意地の張り合いだと言ってしまえばそれまでだが、当時の俺はどうしても受け入れることができず、B君とはなるべく距離を取っていた。
そんなB君とA君が一緒にいる姿を見て、俺は嫉妬心がわいてしまい、もうA君とは釣りに行かないでおこうとさえ思った。
その日の夜になってのことだ。
「A君がいなくなった」とクラスの連絡網で電話が来た。
俺はA君と仲が良かったということで、A君の母親と電話で話すことになった。
A君母からは「釣り道具が部屋にないから一緒に釣りに行った?」と聞かれた。
ここで正直に「B君と一緒にいるのを見かけた」と言えばよかったのだろうが、子供だった俺は嫉妬心から「今日は一緒に行っていない。A君を見かけてもいない。」と言ってしまった。
そのあと、俺は親の車に乗り、A君の行きそうなところを探して回った。
A君と今まで釣りをした場所を思い出せる限り周り、俺の親はその場所を全てメモしていた。
これは後から俺の親から聞いて知ったことだが、A君の親は今でいうところのネグレクトで、A君が普段何をしているのかさえ知らなかったのだと言う。
確かに、A君は夏と冬で3着ほどの服を着回ししていたし、家にご飯が作られていることはなかった。
だから二人で釣りに行った帰りは、俺の家によってご飯を一緒に食べて帰るということも珍しくなかった。
俺の親が釣りの場所をメモしていたのは、警察か先生かに頼まれ、A君が落ちたと思われる場所を特定するためにやっていたことだろう。
携帯電話などなかった時代の話だ。
一通りこれまでA君と行った釣り場を回り、付近に自転車や釣り道具がないかを確認したあと、自宅に戻った。
親はそのあとも誰かと電話していたようだが、深夜0時を回っていたので親に「もう寝なさい」と言われ寝ることにした。
翌日、学校はいつも通りに行った。
クラスの中がA君が行方不明になった話題でもちきりだった。
B君は、というと。
何食わぬ顔でみんなの話に参加していた。
俺はB君を問いただすことができなかった。
B君は気性が荒く、何か気に入らないことがあると暴力をふるう子でもあった。
B君がA君と一緒にいたところを俺が見たことは、B君は間違いなく気づいていない。
クラスのみんなが俺が一緒に釣りに行ったのだろうと疑ってかかったが、それらを否定するのに手いっぱいだった。
その日、全校集会が開かれ「児童同士で川や海などへ遊びに行くな」「出かけるときは必ず家の人に行き先を告げろ」などと言われた。
A君の親はその日も朝からずっとA君を探し回っていたらしい。
俺の親も捜索に協力していた。
行方不明となった日から2日後くらいだったと思う。
A君が履いていたと思われる靴が、川の中から発見されたと先生から話を聞いた。
発見場所はA君と俺がいつも行っていた釣り場のずっと上流の方だった。
「靴が川の中から発見された」
小学生の俺でもその先にあるであろう現実を想像するには十分な出来事だった。
俺はショックで熱を出した。そして学校を休んだ。
正直学校には行きたくなかったからちょうどよかった。皆が「俺がA君を見殺しにした」などと言っていたので。
俺の母親も仕事を休み、看病をしてくれていた。
そんな中、学校から家に電話があった。「A君が発見された」と。
その後あったA君の通夜や葬儀には、俺は熱と嘔吐が酷く参加できなかった。
一週間ほどして体調が戻り、学校に行くと皆から俺は「人殺し」と呼ばれた。
俺は必死に「警察が調べればわかることだろう」と反論したが、誰も聞いてくれなかった。
B君は俺へのいじめには参加こそしないものの、相変わらずの何食わぬ顔。そして俺がいじめられる様子を見ているだけ。
頭にきた俺は担任に「実はあの日、B君がA君と一緒にいるところを見た」と伝えた。
担任は俺が精神的ショックで寝込んでいたことを知っていたので、子供の妄想とでも思ったのだろう。
全く取り合ってくれなかった。
自分の親にも話した。
だが「お前はあの日A君を見ていないと言ったよな?どういうことだ?嘘だったのか?」と詰められる始末。
それからしばらくしてB君が俺に「先生にチクったろ?」と怒って殴りかかって来たことがあった。
先生か俺の親のどちらが話したかはわからないが、警察に「A君がB君と一緒にいた」と俺が話したことが伝った。
B君は親から叱られたそうだが「会っていない」の一点張りで通したようだ。
A君の当日乗っていた自転車は釣りをしていたと思われる現場近くから発見された。
だが釣り道具は一部しか見つからなかった。
しかも発見された釣り道具は川から少し離れた草むらにあった。
警察は最終的に「A君が誤って川に落ちるなどし溺れて死んだ」としたようだが、俺の中での答えは違う。
あの日、B君は間違いなくA君と一緒にいた。俺の見間違いではない。
そして、A君がお年玉で買ったと言って大切にしていた釣り竿やルアーをどこかに置いて川で遊ぶはずなどない。
その後、中学へ進学となったが、学区の関係で俺はクラスの大半の子とは別の中学へ進むことになった。
そして父親の仕事の関係で、俺は中1の秋に別県へと転勤になった。
小学校の同級生とはその後20年以上疎遠となった。
だが某SNSで卒業校を入力していたところ、同級生が見つけてくれ、そこから連絡を取るようになり、同窓会へ出席することとなった。
同窓会ではA君の話も出た。
当時の私へのいじめを口に出す者はなかったが、いじめという認識もなかったのだろう。
私が彼らと同じ立場であったなら、同じようにいじめに参加していた可能性もある。
彼らを責めたいという気持ちは今は微塵もない。
同窓会にB君の姿はなかった。
B君はクラスの大半と同じ中学へと進学したが、2年生のときに転校したらしい。
小学校の同窓会には一度も参加していないそうだ。
もし今のB君に会うことがあったなら真相を知りたい。
あの日、A君の身に何があったのか。
事件ではなく本当に事故だったのか。
それだけが心残りです。
もしB君が何らかの形で関与していたとしても
もう十数年も経ってるし墓場まで持っていくと決めてるだろうな
今更話す可能性は低いと思う
>>167
投稿の中では割愛しましたが、B君から関与を匂わせる言葉も聞いているんですよね。
私は先生と親にA君、B君を見かけた場所と時間を具体的に伝えていて、それをB君もわかっていたようで
「ばれたらお前も殺すからな」と。
子供だけに殺意を持ってA君と遊んでいたとまでは思っていません。
結果的にそうなってしまっただけ、と想像はしています。
自分の体験談と似たような事件があったので、B君を含め周囲の反応も今は納得しています。
www.mag2.com/p/news/421808
>>168
自分へのいじめについては今となってはもうどうでもいいことです。
「釣りに熱中していた」ということからもご想像いただけるかと思いますが、もともと自分はクラスでは地味な存在で浮いていましたし。
子供のやったことですからね。
自分も他のクラスメイトと同じ立場なら、いじめまではしなくても、A君と仲の良かった子のことを良くは思っていなかったでしょうし。
ただ純粋に真相が知りたい。それだけが心残りなんです。
A君の大切にしていた釣り竿だけは結局最後まで見つかりませんでした。
A君の自転車が発見された場所を中心に、その後も自分一人で釣り竿を探したのですが。
見つかった釣り道具のうち、いくつかを自分が貰いました。
貰ったルアーはまだ実家にあります。
今でも実家に帰省するとA君の墓参りをしています。
墓前ではいつも「釣竿を見つけられなくてごめん」と謝っています。
B君が釣竿を持って行った、と?
それはないと思いますよ。
他の釣り道具のようにどこかに捨てたんじゃないんですかね?
B君が釣竿の価値をわかっていたなら、ルアーやリールの価値もわかっていたはずなので。
リールは釣り道具の入った箱の中にあって一緒に捨てられていました。
先述の通りそれらは後日見つかっていますが、A君の兄弟が「リールは仏前に備えておく」と言ったそうで、私は貰っていません。
最寄り駅から2キロ以上離れた狭くて古いアパートの1F
この時点で不穏な感じしたが
中に入ると若い男女3人が床に寝転がってスマホぽちぽち、ひとりはタバコふかしてた
みんな彼女の弟妹らしい
両親のDVとネグレクトが酷くて高校も行かせてもらえず
みんな彼女の稼ぎで養ってるらしい
いたたまれなくなって電話かかってきたふりして
外出てそのまま逃走してきた
ワイはどうすれば良かったんや?
兄弟が未成年なら児相に連絡。他人でも通報すりゃ動く。
相手を思うなら本人たちになぜ児相に連絡しないのか?を聞いた上で行動すればよかったかもね。
うまく行動すりゃいいセフレになったかもしれんのに。もったいない。
谷川岳での体験を投稿した者です。
反応ありがとうございました。
狐に化かされたのだとしたら「神社で悪さをした記憶ないのに…あと一歩で谷底なんて、酷いよ」と文句を言いたいものです。。
別件、馬に乗った武者の幽霊が大勢で家に押し寄せ、父が殺されかけた話がありまして。
こちら清書中につき完了次第、投稿させていただければと思います。
思えば当時住んでいたマンションでの事案は多く、よくない場所だったのかもしれません。
つぎはぎの犬が来て私をくわえて引きずったり。
クリスマスイブの夜に棒人間が玄関から入ってきたこともありました。(これはオチなしです。
玄関入って左手に寝室があり、私その部屋で両親に挟まれる形で一緒に寝ていたんですけど、イブの夜は眠る前に玄関から音がしまして。
黒い棒人間が目の前の廊下を、ゆっくりと奥のリビングの方へ歩いていくのを見たんです。
洗面所のカーテン?のれんがめくれたりもして。
「サンタさん来たよ!」なんて両親に言っても起きてくれず。
誰かに頼んだ仕込みのサンタ役か?それとも本当にサンタはいるのか?なんて思ったものです。
思えば玄関の外。マンションの廊下の天井には蛍光灯がいくつもあります。
誰かが鍵を開けて入ってこようものなら、扉を開けた角度の分だけ光が差し込んで室内が明るくなるはずなんですよね。
それが無かった(オチ無しで申し訳ないです
ではまた!
それでは投稿失礼致します。
騎馬武者の大群
私が小学生の時の話です。
その日は週末で、母は朝から仕事に出る支度をしていました。
父はというと、休日は一日中家で寝ているタイプの人間でした。
私は退屈を避けたかったからか、母を引き止めようと風邪っぽいと嘘をつき、支度をしていた母に体温計を見せました。
体温計の先端に息を吹きかけ指でこすり、摩擦で高熱を装ったのです。
それを見抜かれていたかはさておき、母は仕事に行ってしまいます。
父は「熱があるなら今日はどこにも行けないね」なんて言う有様。
これではどこにも連れて行ってもらえない。自分で自分の首を絞めたことで退屈さに拍車が掛かった休日でした。
ひとり携帯ゲーム機で遊ぶのも限界があります。
仮病を使ったために、同級生と遊びに行くのも叱られそうで出来ませんでした。
父は案の定、テレビをつけっぱなしで寝ています。
もう自分も寝るしかないか…でも眠くないので眠れません。
寝っ転がっては時間が過ぎるのを待つだけ。
そんな時、地鳴りのような振動を感じたのです。
>>183
地震か?そう思っていると「パカパカ、ジャリジャリ」という音が玄関の方から聞こえてきました。
まるでテレビの時代劇のよう、その音は馬が走る音だと気付いたのです。
当時住んでいたのはマンションの2階。
玄関が北でベランダが南、縦長な間取りの3LDKです。
その時、私と父がいたのはベランダに一番近い部屋。
テレビが置いてあるのもベランダに近い位置です。
玄関の方から聞こえてくる音は、方向的にもテレビの音ではありません。そもそもスイッチは私が切ったばかり。
ましてや2階だし、東京だし、馬の走る音なんてしないのです。
工事でもしているのだろう、そう思っているうちに音が大きくなります。
そして馬に乗った武者たちが、家の玄関からベランダの方向。北から南の向きに走ってきたのです。
家の中は土埃が舞い、かなりの数の騎馬武者たちが家の中を駆けていく状況。
寝ている父の上を走り抜ける形で、玄関からベランダの先へと駆けていく馬およびその背に乗る武者たち。
彼らは透明というかホログラムのようになっており、これが現実なら父は馬に踏まれケガでは済まない状況でした。
その武者たちは、いわゆる落ち武者ではなく、どこもケガをしていない姿。
頭に矢が刺さったりしておらず、まだ戦の前のような外見でした。
旗のようなものをなびかせ、槍だか刀だかを携えて駆けていくのです。
これは何なんだ?
夢でも見ているのか?
そう思っていると、一匹の馬だけ父の近くで止まり、その背に乗る武者と私の目が合いました。
>>184
なぜこの人だけ、まだ家に中にいるのだろう?
前を駆けて行った武者たちに置いてけぼりをくらってしまうぞ?
私はそんなことを考えながら、その武者のことを見ていました。
するとそいつは私から視線をそらし、自分もとい馬の足元で寝ている父を見てニヤッと笑い、馬から降りたのです。
この時点で嫌な予感がしました。案の定そいつは刀を抜き、私の父のそばで刀を振り上げたのです。
ああ、まずい。このまま振り下ろされたら確実に…。
そう思った私は大声で「ダメー!」と叫びました。
すると私の声で父が起きたのですが、状況を把握していないからか「んー?どうしたの?」なんて言って、肘枕をしながら私のことを不思議そうに見てくるのです。
いや、その体勢で刀を振り下ろされたら確実に首が飛ぶだろう。何をやってるんだ?なんて考えたものです。
どうしよう、もうダメだ。
そう思って私が例の武者に視線を戻すと、そいつは私のことを不敵な笑みで見たあと刀を鞘に戻し、馬に乗り、前を走る仲間たちを追いかける形でその場を去ってくれたのです。
私が叫んだから諦めてくれたのか?とも思ったのですが、その武者は邪魔をされて悔しいといった顔ではなく。
むしろ、切る価値もない・興覚めだ、そんな余裕のある顔をしていました。
父は自分の身に危険が及んでいたことに気付いていない様子だったため、この人に言っても無駄だと思った私は、帰った母にその出来事を伝えました。
しかし「熱のせいで怖い夢でも見たんだろう」と言われるだけ。
私としても「実は仮病で熱なんてない」なんて言い出せずに、この件は終わってしまいました。
あそこで自分が叫んでいなければ、どうなっていたのか?
あのまま刀を振り下ろされていたら、父は後日ケガや病気になっていたのか?
それは永遠に分からないことです。
これ普通に楽しかったぞ?
あれか幽霊見たことないからって僻むなよ
個室にいたので夜遅くまでぼーっとテレビ見ていたんだが、突然ベッドがガタガタって大きく揺れだした。
一瞬「地震か?」って思ったがどうやらベッドだけが揺れているようだった。そんでベッドの下を覗いたんだが、何かだぼっとした服着た髪の長い女がベッドの裏に張り付いてガタガタゆらしていた。
大きなベッドで俺の体重も加わってかなり重かったのか、額にうっすら汗かいて、フンッ!フンッ!とか言いながら一生懸命揺らしていた。
たまらなく可愛いく思えて、そのままベッドに誘ってしまいました。
むしろまとめサイトのタイトルの付け方こそセンス零(笑)
昔から仕事できなかったタイプなんだろうな。
この板に書く奴が自分でタイトルつけるようにすべき。
いかにも作り話っぽかったらこの板住人の総力挙げて攻撃してやるようにすべき。
ここから杉沢村の真実について書かれています。
とても長いので、好き嫌いは分かれると思いますが、私はとても楽しめました。
んー、余命宣告されたし
ガチで告白するわ。
これ、ノンフィクションの話だけど、いい?
身の上話を手短にすると
僕が関わってきた人間のうち
二人が死刑判決うけてる。
ひとりは
青森県弘前市に当時あった
武富士という
消費者金融に
マスク姿で突然あらわれ
店内にガソリンをまき
「カネ、出さないと火つけるぞ」
って脅して
本当に火をつけて
5人焼き殺した
小林光弘 死刑囚
もう一人は
秋葉原で
無差別殺人事件を起こした加藤智大 死刑囚な
まぁ、青森にいた時点だけで
その後、死刑判決受ける
人間二人と接点あるだけでも
大概だけども
自分が本厄になる誕生日に
全国ニュースで
地元、母校の中学校で
イジメによる自殺事件のことを
しらされた。
2016年8月25日に自殺したし
テレビやマスコミでも
大々的にとりあげられてた。
青森の浪岡中学校の
葛西りま
自殺事件な。
ネットでぐぐればわかるけど
本当の話。
一学年一クラスの
クッソ田舎の小学校出身だから
6年間通ってたら、ほぼほぼ
全校生徒の氏名と顔ぐらいは覚える。
3学年下の葛西剛の娘が
電車に飛び込んで自殺したと
テレビでみたときは
腰を抜かすかと思った。
地元の風習とか、因習とか
そういうのが
嫌いで仕方ないから
地元を離れた。
もう、青森を離れてからの
年月のほうがずっと長くなった。
僕も歳をとった。
けど、結局
葛西りま、の
イジメ自殺事件のせいで
自分自身の色んなことと
向き合わざるをえなくなった。
死刑囚2名と接点がある
ってだけでも相当異常だし。
なんで、自分ばっかり?
って若い頃は思ってたから。
結局、色んなことを
調べてるうちに、一つの真実が
浮き彫りになった。
ネット上では有名らしいけど
杉沢村伝説ってあるだろ?
あれ、僕の地元で起きたことなんですわ。
杉沢村伝説、を知らない人向けに
かいつまんで説明しておくと
昔々、青森県のとある村で
ある晩、一人の青年が発狂して
一夜のうちに
村の全員を殺害し
殺し終えたあと
犯人の青年も自殺した。
あまりにも凄惨な事件だったことと
関係者一同全員が死亡したことから
その後、その集落は
存在そのものを抹消されて
なかったことにされたという
ってのが
世間一般の杉沢村伝説かな?
まぁ、地元なんですが。
けど、この杉沢村伝説って
話として
おかしいところがあると
思いませんか?
村、とか集落なら
最低限100人ぐらいは
いるわけで
それを一人で皆殺しにするには
物理的に無理があります。
残酷だけど
親が殺されてるあいだに
子が逃げる、とか
隣近所の人が逃げることのほうが
現実的だからです。
一晩のうちに
集落全員が殺されて死亡
というのが
仮に起こったとして
単独犯で
100人ぐらい殺害するのは
物理的にも体力的にも無理なわけですよ。
では、なぜ?
という話になります。
僕は青森県
南津軽郡
浪岡町
大字
本郷
という地域で育ちました。
2005年の平成の大合併により
浪岡町は隣接する
青森市に吸収合併され
青森市浪岡
と、なりましたが。
きっかけは葛西りま、の
イジメ自殺に起因することでしたが
それを色々と調べていくうちに
自分のルーツみたいなものも
色々とわかってきました。
確かに
杉沢での皆殺しは
起きていたのですよ。
一つの集落が全滅って
明らかに異常じゃないですか?
まさか、それが
自分の地元だとは思わなかったのですよ。
現在、コロナウイルスのせいで
日本じゅうがてんやわんや、なわけですが
今から100年ぐらい前
今と似たような話がありました。
100年前、結核という病気は
死の病だったのですよ。
感染したら最後
あとは手の施しようがなくて
死ぬのを待つだけの病気でした。
結核が猛威をふるっていた
100年前
結局、出来ることはというと
感染者の隔離しかなかったのですよ。
サナトリウムの話は
宮崎駿の風立ちぬにまかせておくとして
やはり、山あいの
空気のキレイなところに
結核患者を隔離する、という
流れになりました。
それが
杉沢
です。
ネットやテレビでは
杉沢村伝説として有名ですが
厳密にいうと
杉沢「村」というのは
存在しません。
当時はまだ村だった
本郷の一画でしたから。
本郷村 字 杉沢
が
本当です。
そして例の事件のあと
存在を抹消されました。
今から100年ぐらい前の話ですね。
結核が不治の病だったから
山のふもとの一画に
感染者たちは
隔離されました。
つい最近までは健康そのものだった人が
血吐いてゼェゼェ言いながら
やせ衰えていくのを見てるしかない
わけですから
当時の人らには
恐怖そのものだったでしょう。
次は自分が罹患するかもしれない
となった時に
恐怖にかられた民衆らは
一つの決断をするわけです。
結核に感染した者たちは
見捨てられることになりました。
世にいう杉沢村伝説
というもののうち
一晩のうちに集落の全員が死亡
という部分
は、本当です。
ただし、一人の発狂した青年による
単独犯行ではなくて
口裏を合わせた上での
集団犯行でした。
結核によりカラダが弱って
逃げられないことが主な原因ですが
杉沢地区に隔離されていた
結核患者らは
なすすべもなく殺されました。
建物の外から鍵をかけて
逃げられないようにした上で
建物に火を放ったようです。
さながらアウシュヴィッツですよね。
これ、フィクションじゃないんですよ。
残念ながら。
ただ、「発狂して」とか「自殺した」
とかの部分は
本当のようです。
あの事件が起きたあと
本郷の中では
発狂したり
自殺する者が
何名か出たようです。
仕方がないとはいえ、
顔見知りの相手を
焼き殺しえるわけですから
精神的にまともでいるほうが
難しいでしょうね。
良心の呵責にさいなまれて
クビ吊ったり
本当にアタマがおかしくなって
発狂した者も続出してたようです。
青森県
青森市
浪岡
大字
本郷
には
十文字
という地名があります。
ネットでぐぐっても確認できますが
地元、弘南バスのバス停にも
本郷十文字
という、バス停が実在してます。
十文字、ようは十字路
交差点の地名なわけですが
現在は十字路ではありません。
とある一方への道がふさがれて
丁字路になっています。
わざわざ人為的に十字路が
丁字路にされる
っておかしいと思いませんか?
あの事件のあと
杉沢へ通じる道は潰されました。
道そのものが抹消されてます。
杉沢の集落があった地域は
本郷ダムの底へと沈みました。
こうして
本郷 字 杉沢 は
物理的にも抹消されました。
だから、杉沢村伝説とか
みんな言うけど
杉沢にいくこと自体
物理的に不可能なんですよ。
かろうじて
道づたいに本郷ダムにいくのが
精一杯でしょうね。
あ、今の時代だと
グーグルアースで簡単に確認できますから
なんなら
浪岡
本郷の
本郷ダムあたりを
みてもらえれば
確認できますわ。
あれが
杉沢です。
田舎独特の風習というか、因習と
言ったらいいんですかね?
ナミオカの連中も
本郷の連中も
ずーっと長らく
この闇歴史を口をつぐむことで
隠してきました。
表向きは平和だったと思います。
後になってからわかりましたが
本当に恐ろしいのは
ここからです。
杉沢での皆殺し事件が起きてから
ちょうど100年後にあたる
2016年8月25日
本郷地区出身の
葛西剛の娘が電車に飛び込んで
自殺しました。
しかもイジメ自殺に追い込んだ
犯人連中は
杉沢皆殺しに関わってた
殺害実行犯の子孫です。
これを知った時は心底恐ろしいと
思いました。
あのイジメ自殺事件が起きるまで
僕は自分の因縁とか宿命から
ずっと
目をそらして
逃げて生きていたような気がします。
本郷地区では
地域の三分の一以上が
鎌田 姓です。
しかも、同じ鎌田姓なのに
僕の実家と血縁関係にある家は
一軒もありません。
僕は典型的な没落地主の子孫です。
本郷地区でウチ以外の
鎌田姓の連中は
元小作人か元奴婢の家系の連中です。
なので、
子供の頃は随分とイジメられました。
旧・浪岡町にあたる
浪岡中学校は
6つの学区から進学してきます。
浪岡北小学校
浪岡南小学校
大栄小学校
女鹿沢小学校
野沢小学校
そして
本郷小学校
本郷地区が一番の貧困地帯ですね。
生徒数も少ないですし。
僕はそんな本郷地区出身なわけですが。
自分は今年46歳になるんで
今から30年以上前の話ですが
浪岡中学校一年のとき
朝、学校につくと
自分の机の上に花瓶置いてありましたわ。
つまり死んだ人扱いですね。
わざわざ御丁寧に
机の中には
お前なんか死ね
という手紙つきでしたわ。
このイジメの件は職員会議レベルの話
になったんで、それ以後
イジメはなくなったし
もう長いこと忘れてたんですけど
葛西りまイジメ自殺の件で
調べてみたら
イジメ自殺の加害生徒の親らの多くは
あの時
僕の机の上に花瓶置いてた連中でしたわ。
血筋だなぁと思いました。
さらに調べていってみると
葛西りまイジメ自殺事件の
犯人連中って
杉沢皆殺し事件の
殺害実行犯の
末裔でした。
因果応報とはいえ
震えあがりました。
僕は大学に2ついってます。
弘前大学教育学部に
3回生まで通ってから中退して
横浜国立大学に
入り直して卒業してるわけですが
弘前大学に通ってた頃の話です。
地元の浪岡から弘前市に出るために
駅に向かうわけですが
その時にわき見をしてた
酔っぱらいとぶつかったのですよ。
幸い、ケガもなかったし
すみませんの一言があれば
それで済むだけの話だったのに
その男は、謝るどころか
ふんぞりかえってたので
そこでマジギレなわけです。
若さゆえの幼さなんでしょうかね?
結局、その男は最後まで
あやまりませんでした。
「オラは悪くね」
ってね。
当時、浪岡中学校すぐそばに
すんでたその男、
小林光弘は
その後、武富士でガソリンまいて
5人を焼死させ
死刑囚となります。
小林光弘死刑囚は
2014年に死刑が執行されました。
非公式ながら漏れ伝わってくる話では
死刑執行当日
小便もらして
クソもらして
鼻水たらして泣き叫ぶ中
二人がかりで両脇かかえられて
引きずられながら
クビに縄をかけられて
死刑執行されたんだとか。
最後の最後まで
「オラは悪くね」
って叫んでたそうですわ。
今でこそ毒親という言葉が
当たり前になりつつありますが
僕の頃はそんな言葉はありませんでした。
僕は典型的な毒親育ちなわけですが
弘前大学を中退したのも
それが原因なんですよ。
精神的にまいってしまってね、
逃げるための手段として
大学入り直しました。
弘前大学をやめる直前の頃の話です。
初めて家庭教師として受け持つことに
なったのは
青森高校志望の中学生でした。
青森高校って一応、県内トップの
進学校なんですよ。
で、受け持った子とは
2週間たらずでクビにされるわけですが
原因は教育方針をめぐっての
親御さんとの対立、でした。
家庭環境が僕と酷似してましてね
そういうのは違うと思ったものだから
それを主張したら
あっさりクビにされました。
苦い挫折経験でしたね。
11年後、彼は秋葉原で
無差別殺人を起こして
死刑判決を受けます。
これ、ネタじゃなくて
ノンフィクションなんで。
日本に奴婢がいたのは律令制の頃だろうとか
100年後に自殺事件が起きたのなら100年もの長い間平和な時代だったんじゃんとか
いろいろモヤっとする部分はあるけれど、全体的には文章も上手くて話も面白かったよ
俺は青森に長く住んでいたから場所なんかも知ってて想像できるし、面白い話だったよ。
怖い話全般に言えることだと思うんだけど、自分の知ってる場所や人ってなると、一気に怖く感じるんだよなぁ
事実は小説より奇なりって言葉がまんま当てはまるお話をしてくれて有り難う、少しでも長生きして何らかの形で多くの人々にこの数奇な出来事を伝えて欲しい
しかしまぁ…剥き出しの「事実」の前では創作なんて単なる無機物に過ぎないと感じるくらい、本当に恐ろしい
色々考えさせられる話だわ
おもしろかったけど、100年前ということは大正時代ですでに新聞も多く出てるから
その事件の記録とかも残ってそうなもんだけど、あったりしますかね
>>251
面白かったよ。
小林と加藤の事件は都市伝説(陰謀論)界隈ではけっこう謎な話になってますよね。
武富士の倒産の原因の謎だったり、加藤の秋葉原の事件に関しては、更に証拠写真が出回ってます。
(証言には「太った黒Tの男が血塗れで大きなナイフで人を刺してる。」というもの
加藤は警官に取り押さえられた時白いジャケットを着ていて、ナイフもジャケットも血で汚れていない)
葛西りまさんの事件といい、杉沢村殺害事件といい謎が多いですね。
杉沢村住んでみたくなったし
今後はそっちのほうに転勤願い
田舎特有の閉塞感が他県の比じゃないんだよな
人の陰湿さも他の追随を許さないんだよ
二度と青森に帰る気は無いね
もしコロナで田舎に移住しようって奴がいるなら青森だけはやめときな
一ヶ月も経たずに近隣住民のじっとりした視線と知らないうちに噂のタネにされてることに耐えられなくなるからな
特に若い嫁さんがいるなら冬の寒さも相まって鬱になるだろうから連れて行くのは酷だよ
これほどの長文でも
タイトルつけなかった事だけは褒める
読んでないけど
おもしろかったっていうか、興味深かったぞ
興味深い話でした
引用元:https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1617288162/
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