2月11日(建国記念日・紀元節)予定の滋賀県にある神社の祭事
■石部神社(蒲生郡竜王町七里)
石部と書いてイソベと読む。元伊勢伝承地。
磯部(=石部)は渡会氏(伊勢神宮外宮の祠官を世襲した氏族)の古い呼び方。
草津線沿線の石部ではなくアウトレットモール竜王の近く。
2月11日 弓神事
駐車場が小さくわかりにくい(大きく北側にある幼稚園側から迂回する細い道がある)
■百々矢神社(モモヤ)東近江市五個荘山本町
永享元年 箕作城建築の節 箕作家代々弓矢の神として建立
■豊満神社(トヨミツ)愛知郡愛荘町豊満
元タレントでもあるオモシロ宮司さんのおられる神社
(宮司さんというより丸坊主頭のため住職さんに見えるかも)
重文の楼門を持つ歴史のある神社であるものの、老朽化が激しく拝殿は倒壊しそうな
ほど柱の傾きが目立っている。
豊満と書いてホウマンと読めることから、胸の大きな女性、美人になれる神社として
エロ宮司さんが神社の建て直しを図るためオモシロ系神社に移行中。
駐車場あり。豊郷小学校にも遠くない場所にあるので、ついでに行って見るのも
面白いかもしれない。
2月11日は氏子の人たちのお祭り
>>42
後に「全国一の宮会」を組織し、一の宮めぐりを再興して御朱印ブームの火付け役ともなった、稀代の名神職、尾張・真清田神社の故・飯田前宮司さまも、
その偉業の原点は今やチンコ・マンコ神社として全国に名を轟かせる愛知の田縣神社・大縣神社の復興にありました。
豊満神社の宮司さんにも、大きな未来を見据えつつ、草の根の庶民信仰を大切にして頑張って欲しいですね。
>>43
大将軍神社のオコナイでは牛玉宝印はでますか?…版木だけでも残っていたら、是非再興して欲しい。
>>46
飯田先生…。よく、伏見稲荷の「弘法の滝」に独り打たれに来ておられましたね…。
お参りの方には常に笑顔であたたかく、自分にはとことん厳しく、若手神職たちの憧れの存在でした。
神道における「行」の復興や仏道…特に護国宗派としての真言・天台との再融合の必要性も強く訴えておられた。…そのためか、本庁のただれた方々からは目の敵に…。
若くして帰幽なされたのが本当に惜しまれますが、葬儀にあれだけの数の方が…しかも政府首脳から近所のお婆ちゃんまで分け隔てなく集まった神職というのもいないでしょう。
2月11日(建国記念日・紀元節)予定の滋賀県にある神社の祭事(続き)
■志賀神社 (シガ)米原市志賀谷
伊吹山が美しく見える三島池の南方
2月 11日 華之頭
新年祭の元の姿とも見られるもので、自然発生的な農耕儀礼。
■大将軍神社 長浜市田町(旧虎姫町)
2月11日 おこない
あるが、近江四宮というと 何社なのやろ?
大津の曳山祭で有名な天孫神社が、明治維新までは四宮神社と呼んでいたそうだよ
二宮 日吉大社
三宮 多賀大社 御上神社
四宮 天孫神社
湖南地域ばかりやな。湖北の式内古社伊香具神社は、五宮以下の
格下ちゅうことなのか?
にある天照神社かな。
三重県にまたがる鈴鹿山系の藤原岳は山岳遭難しやすいとか。
>車でさえ近づけない難所・・・・・・・・・・・・・・・
御祭神を国常立尊とするこの秘境の神社ですね?
天照神社 (テンショウジンジャ) 神崎郡旧永源寺村茨川町151
神社は、甲賀郡総社とされていた。
社伝によれば、南東3kmほどの油日岳(693m)頂上に大明神が降臨、
油を燃やした火のような大光明を発した。
それが名の由来。
現在も油日岳には岳(だけ)大明神と呼ばれる奥宮がある。
(平凡社「滋賀県の地名」より)
>>134
でも明治までは牛頭天王と薬師如来を本尊とする寺で、山頂の御堂は奥乃院と呼ばれていた。
油日に残る板絵牛頭天王曼荼羅は牛頭天王が三宝荒神尊と習合した稀有な密教美術として、
また、仏名会に用いられた本尊・三千仏種字曼荼羅は、通常種字が特定されていない仏にまで梵字を配当した、これまた稀有な作例として有名。
これだけの名蹟まで神社に捏造・粉飾してしまう薩長政府って、本当におぞましい。
油日神社って、市役所公式HPに開花情報が載せられるくらいに
甲賀市では桜の名所なんだね。
市内の桜 開花情報 油日神社(甲賀町油日) 2014年03月28日
>>183
同意
神社仏閣巡りして日吉大社は知った
多賀大社は伊勢神宮絡みで結構有名な所という感じ
1/19のTV旅番組でウド鈴木が、そのメジャーな多賀大社を
訪れていた。多賀大社って何で有名なのだろ?
「ウドちゃんの旅してゴメン」温故知新 再び参るお多賀さん 滋賀・多賀町
メーテレ 2019年01月19日 (土) 16:55 – 17:25
多賀町の霊仙山中には比婆神社と呼ばれる神社のある
男鬼集落という廃村があります。
彦根市 男鬼(おおり)集落 2010年12月24日
多賀大社も明治時代以前は神仏習合が色濃かった?
湖東三山・多賀大社 2006
一の宮は建部大社だし
多賀はお伊勢参りで有名だからな
ここと日向国は皆不思議がるだろうね
超亀だけど
建部大社が近江国庁近くだから
一宮とはまた別物なんだろう
瀬田に近江国庁があったからその近くの建部大社になったんじゃないかな
真清田の方が700年も歴史が古いし、草薙剣は立地的に偶然選ばれただけらしい
草薙剣はあってもずっと熱田神社だったし
讃岐国みてもわかるけど、金刀比羅ではなく田村なのは結局は水
昔は水が全てだったからね
その意味では日本を代表する神社の一つ
>日吉、日枝は全国各地に数多くの末社・・・・・・・・・・・・・・・
八幡社が全国に多数なのは、武士の武運加護祈願で理解できますが、
日吉社の繁茂理由は、何なのですか?
つ 天海僧正と徳川家
天海僧正って、徳川幕府に取入り江戸寛永寺を創建させた怪僧だろ。
僧侶が全国各地に日吉神社を造らせたのは、何故なの?
日吉神社は山王権現ともいって、最澄さんの頃から延暦寺の地主神で天台宗の守護神とされてるよ。
それで全国の天台宗のお寺やその荘園にも祀られた。天海僧正も天台宗。
明治より昔は、神社とお寺はほぼ一体となっていたんだ。
比叡からきてる
NHK7時のニュース今週の関西紅葉生中継5日目11/29朝は、
犬上郡多賀町敏満寺の胡宮神社からだった。
湖東三山のモミジよりも、葉っぱが大ぶりなので色づきが濃いのか?
磐座で高名なこの胡宮神社ですね。
【磐座・巨石】胡宮神社の磐座@滋賀県犬上郡多賀町
氏神さまってふつう、村にひとつだけど、
草津市南部の志津地区の場合、
小槻神社と、春日神社とふたつあります。
このふたつの神社の関係、
このふたつの神社の氏子が志津地区の旧村々でどのように組織されていたか、
などについて教えてください。
それ自体初めて聞いた
よく知ってるんだな
小槻神社は古代に栗太郡を治めた豪族・小槻氏が祖神を祭ったもので、
式内社でもある由緒正しき神社
春日神社は、志津の隣の金勝が春日大社領だったことから建てられた神社で、
創建後に在所の境界が変わって今は志津に属している
氏子のことは、分かりません
鹿児島県からの移民の居住地なのか?
彦根市の「薩摩」は鹿児島県のそれと同じく、詰まった地形、
奥まった所を意味する「狭詰」「狭端」から来ているのでは?
シナの集落は、中国人の末裔
>>298
日本書紀に「志那湊」の記述がある。
志那神社の祭神は志那津彦命、志那津姫命、伊吹戸主命。
Wikipedia“シナツヒコ”より
神名の「シナ」は「息が長い」という意味である。古代人は、風は
神の息から起きると考えていた。風は稲作に欠かせないもので
あるが、台風などの暴風は人に大きな被害をもたらす。そのため、
各地で暴風を鎮めるために風の神が祀られるようになった。
Wikipedia“志那”より
日本において、「支那」の言葉が入ったのは、隋と同様に漢訳仏典を
通じてであった。平安時代の高僧空海の詩文集「性霊集」に「支那」が
用いられた例が確認できる。
日本書紀は養老4年(720年)に完成。
空海が帰国したのは大同元年(806年)。
記紀に伊弉諾尊から生まれたと記された志那都比古(級長津彦)を祀る
志那神社の坐す草津市志那町のことだね。
シナ地名は蓼科・明科・更級など長野県にもみられるが、これらの地域も
古代中国人の入植地だと?
入植地に出身地名をつけるとしても、支那Chinaの如き広大な大陸名は
つけないだろう。
「鉛練」、「意波閇」って和語とは思えぬ語感だが、如何なる
意味なのだろ?
鉛練日古(えれひこ)神社 御祭神:天日桙命、大山咋命 伊香郡旧余呉町中之郷108
http://siomihyo.exblog.jp/22168537/
意波閇(おはへ)神社 御祭神:大鷦鷯命 伊香郡旧余呉町坂口290
旧伊香郡高月町西阿閉の論社意波閇神社は、旧余呉町坂口>>353の論社と違い
穀物神宇迦魂神を御祭神としておりますね。
天日槍を祀る鉛練日古神社は、伊香郡旧余呉町中之郷の他に伊香郡
旧高月町西野にも往時はあったらしい。
谷川健一『日本の神々』によれば鉛練日古神社に祀られ『伊香郡志』に
坂口郷の山を切り余呉湖面を1/4に縮めたと記される天日槍のこれらの
行為は、鉄器による開墾・開拓を暗示する蹴裂伝説と称されるらしい。
この神社ですね?
慰霊社などの摂社 鉛練比古神社(えれひこじんじゃ) 余呉町中之郷108 2019/07/02
https://www.youtube.com/watch?v=VsQlQbB94cg
浅井郡式内社の波久奴神社も、不可解な社名だ。
「ハクヌ」とは、如何なる語義なのか?
また何故、物部連守屋を御祭神とするのか?
波久奴 (ハクヌ)神社 長浜市高畑町296
浅井郡式内社矢合神社も物部連氏ゆかりの神社か?
湖西高嶋郡式内社の阿志都彌(あしづみ)神社2社(鎮座地安曇川町・今津町)
それぞれの主祭神島津彦・木花咲耶姫のうち島津彦とは何者なのだろう?
記紀にはっきり記載されている木花咲耶姫よりも、島津彦みたいに起源や正体のハッキリしない祭神の方が、歴史が古い気がする。
旧安曇川町と言えば、安曇族とか継体天皇の出生地として歴史はあるだろう。
旧安曇川町と言えば継体天皇ゆかりの下記社があります。
三重生(みおう?みょう?)神社 御祭神:彦主人王・振媛 安曇川町常磐木1239
水尾(みお)神社 御祭神:河南社-磐衝別命 河北社-比咩神=振姫) 安曇川町拝戸716
田中神社境内社三尾(みお)神社 御祭神:振媛 安曇川町田中1882-1
伊香郡全体が色々と興味深いです。
羽衣伝説では、八人の天女が余呉湖に舞い降り、伊香刀美(いかとみ)という
男が天女の沐浴を覗き見した上に天女の羽衣を盗んでしまいます。
そして天女の一番下の妹だけが帰れなくなり、伊香刀美が優しくして、
自分の妻にしてしまいます。
今ならばロリコン盗賊のクズ野郎ですが、伊香刀美(いかとみ)=伊香津臣命(いかつおみ)
という説もあり、中臣(藤原)氏の祖先に結びつくということになります。
藤原氏を嫌って出来た伝説にも思えますし、天之日矛命が新羅から追いかけてくる
原因となった赤玉から生まれた美少女=阿加流比売神(あかるひめのかみ)の生い立ちも
奇妙な話から繋がっています。
>>354
>そして天女の一番下の妹だけが帰れなくなり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伊香刀美は、目撃天女群の最も若い娘の衣だけを盗んだと記憶していた
のですが、『近江國風土記』原本では8人姉妹設定だったのですね?
羽衣伝説は、他に丹後半島と駿河三保松原のが有名ですが、原版は
どれなのですかね?
また羽衣伝説とかぐや姫伝説には、関連があるのでしょうか?
>伊香刀美(いかとみ)=伊香津臣命(いかつおみ)
>という説も・・・・・・・・・・・・・・・・・
誰の説ですか?伊香津臣といえば余呉湖畔から離れた旧木之本町大音に
坐す名神大社伊香具(いかご?)神社のご祭神ですから、地理的にも
階層面でも伊香刀美に引当ては、苦しいのでは?
余呉湖畔東べり旧伊香郡下余呉村には、伊香刀美と天女との子の臣知人命、
梨迩臣命をそれぞれ祀る乎彌神社、乃彌神社も坐します。
メジャーなとこもいいが草津市にある 印岐志呂(いきしろ)神社
神門の両脇の石垣や拝殿の歴史を感じさせてよかった
なんでだろう?
出入りを遮る門扉を設けぬのが、寺社の特徴だのに
その長浜市布勢町の春日神社は、重要文化財等を
所有しているのでは?
あーそうなのかも…
グーグルマップのレビューには境内の写真が載ってたんだがなあ。
一回でいいからあの階段登って参拝してみたい。
ありがとう忍海神社。
長浜市益田町の淺井郡式内社麻蘇多神社は近世には「山王権現」と呼ばれていた。
ご祭神は白髪王・大山咋神。
日子坐王四世孫 白髪王を祀る「麻蘇多神社」 2021/05/03
2月3日午前11時 東本宮
日吉大社は通常は「ひよし」と読むようだが、全国各地に
日枝神社と書く分社があることから元来は「ひえ」大社
だったのかな?
すると比叡(ひえい)山と同じ語源ということか?
「ひえ」とはどういう意味なのだろう?
近くの比良山系の「ひら」と共に気になる。
日吉大社について http://hiyoshitaisha.jp/about/
尋常じゃない古い歴史を感じる。
少なくとも飛鳥時代以前からの名前だよね。
近江地方って明治のからの廃仏毀釈や神社統廃合がゆるゆるだったんだなあ
いっぱい残ってるじゃん
お寺なんかは京都より数は多いとか
うちの地元の伊勢周辺なんかお寺もずいぶん減らされたが、神社にいたっては9割も減ったとか
挙句に伊勢神宮は、国に乗っ取られた
ワタツミ系だよね
志子淵?思子淵?志古淵?神社のシコブチ>>530って
どういう意味の日本語なの?
分からないけど、凄く寂れてたな。
もともとは安曇川の河川で働く人が、安全を祈願する目的だったみたいだし。
高島市のシコブチさんだろうがなんだろうが、過疎が進む集落の神社はどこも寂れていく一方だろう
明治から大正にかけての神社統廃合でガクッと数を減らして各地で反対の声も多かったが、今になってみると、もっと減らしといてもかまわなかったんだ
ちっちゃいの残しておいても自然消滅していくだけなんだからなあ
そういう現実だってのが悲しいわな
引用元: https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1391333382/
コメント