スレチかもしれないが、個人的に怖いと思ったけどタメになるかもしれない話を霊感強い友人から聞いたのでここに書いておく。
皆も知りたいと思っているかもしれない「悪徳霊能者」の見分け方があるらしい。
ちなみに「幽霊が見える」というだけじゃ明確な判断基準にならない。ガチで見えてるけど商売的にヤバいことをしているっていう霊能者も少なくはないということだ。
その友人が言うには、『神様を降ろします』とか『神様に守護されるようにします』とか言ってる奴は1番信用しちゃいけないらしい。『神様が見えます』もアウトらしい。なぜなら『神』というものは存在してないから。
『幽霊が憑く』と『神が憑く』の明確な違いをこれから説明する。
まずその友人が言うには、そもそも神というものは《概念》であり、人の信仰心(念)によって生まれるもので、当たり前だが元々存在しているものではない。人の信仰により存在できるもので、つまり、存在しているようでしてないもの。誰もそれを信じなければ存在しない。
ただし、人の信仰によって生み出される念というものは人に憑くことがあるらしく、これは生霊の類になって場合によっては心身に影響を与えるとされている。つまり、人の『念』が『神』と名乗る存在に変わっただけで、実際には自分達自身を信じていることになるんだと。つまり古神道で言う「人も神の一部」というのはここから来てるんじゃないかとその友人は言っていた。
>>615
否定するわけではないが、あなたの友人が言ってることが100%正しいかどうかは分からないし、友人のいう条件にあてはまる外見上悪徳霊能者が、皆が皆ウソであるかと言われれば、それもどうかとも思います。彼らの中には本当に見えていると信じている人もいるかもしれない。
まぁでも自分も、適当に神様の名前を出されて「ほにゃららの神様の力を借りてあなたを除霊する」とか言われたら絶対信じませんが。
あと一応古事記はファンタジーではなく歴史書です、内容には創作を含みますが。
人々が信じる念によってのみ神は存在する、という見方ですが、そうだとすると信仰を失い零落した神(の持つ力)の説明が出来ません。洒落怖スレには元・神様による祟りの話も多数投稿されてきましたね。それら全て存在しないと一言で否定されてしまうのでしょうか?
イタコは求めに応じて役割を演じているのであり、それで残された家族が喜んでいるから成り立つ関係です。その外見をうまく作るためにイタコとしての修行を積む必要があるのだと思います。
霊能力があると自称するイタコがいたら、自分は詐欺である可能性を真っ先に疑います。
霊感詐欺の見分け方についてはもっと深掘りしたいですね。参考になる話があればまた聞かせてください。
>>624
615を投稿した者です。
自分も洒落怖に投稿されたものをいちいち否定するつもりはないが、あなたは『神』という言葉を聞いて、どういうイメージを持ってる?どういうものを神だと認識してる?
人智を超えた力や、この宇宙を生み出した正体不明の力を『神』と名乗っているのか、それとも、古事記のように名前を持つものを存在しているとみなして『神』としているのか。
『信仰』というものは、時に人を救い、時に破滅を生むこともあるということは、霊が見えても見えなくてもしっかり覚えておかなければならない事実だと思う。
昔の人間は神を信じるというよりも『依存』していると言った方が近い。化学が発展していない時代は何か惨事があると神のせいにし、何か奇跡が起こると神のおかげだと言う。祠や神社に、人が「願い」をそこに置いていくことで色んな人の念を併せ持つ塊が生まれる。
祟りというものは、その神が元々そこにいて自らの意志で引き起こしているものと捉えられがちだが、見てみると神ではなく長い時を経て積もり積もった人の邪念(欲望や憎悪)が引き金だったということが多いらしい。
あと、人は定期的に起きる予測不可能な自然現象(地震・噴火)や不幸な出来事を神の祟りと呼びがちであるが、これも人間が間違って信じている迷信らしい。例えば、代々病気で短命が多い家系は呪われているのではなく、そもそも遺伝子的に体が弱い体質で祟りとは何も関係のない場合が多いとか。最近怪我が多いとかも、霊や祟りが起因しているものはほとんどない。疲れが溜まって不注意になっていたり、鬱病の初期症状で判断力が鈍るとかもあるらしい。
つまり友人が言うのは、何でもかんでも霊や神のせいにすると、その恐れる念が自分自身に災いを起こしかねないということだ。
洒落怖は創作も含まれる可能性があるため全ての話を事実と断定することはできないし、自分がその話をどうと言える立場ではないが、怖がって精神的に衰弱して二次被害、三次被害を生むようなら、気付け目的でお祓いに行くのは効果があるらしい。
神の話に戻るが、悲惨な死に方をしたり、多くの人を救って生涯を全うした人の霊魂は、後世でも大事にされるためにあえて『神』の名を与えることもあるとか。
まぁ、信じるか否かは読んでいる人次第だな。
>>625
レスありがとうございます。
あなたが霊感のある友達の言うことを絶対的に信じているように見えたので別の視点も持つべきでは?と思い書かせて頂きました。あなたの友達を悪く言う意図はないですが、盲目的に信じてしまうのはそれこそ詐欺に遭いやすい傾向です。
昔の人が信じた神は、日々の恵みを与えてくれる山や海、抗い難い大いなる自然への畏怖と感謝です。科学が発展した世の中であればスーパーに行けばいつでも食料が手に入るので感謝の気持ちなど忘れてしまっていますね、神への感謝も感じにくいです。
自然現象のうち大きなものは神、局所的なものは妖怪を当てることで「なんだか分からないもの」から「神の怒り」や「妖怪の仕業」に変換し、同時に対処法も生まれ、安心できたのです。依存ではなく賢く付き合う知恵です。
あと奇跡を起こすのは神より仏の方が多いです。昔話によく出てきますよね、娘の病気を治してくれたり飢饉の村に水が湧いたりするお話。あれらの奇跡は旅の六部だったり高名な僧が起こします。これは私論ですが、仏教伝来以降の教化政策による神下げ仏上げの影響と考えています。為政者にとっては土着信仰を否定して全国に等しく仏教が広まる方が統治するのに都合が良いからです。
また長くなってしまいました。失礼しました。
>>625
>>祟りというものは、その神が元々そこにいて自らの意志で引き起こしているものと捉えられがちだが、見てみると神ではなく長い時を経て積もり積もった人の邪念(欲望や憎悪)が引き金だったということが多いらしい。
これは、霊感の強い友人の話かな?
ということは神じゃなくて、邪念にやられてると判断したエピソードとか話せない?
>>あと、人は定期的に起きる予測不可能な自然現象(地震・噴火)や不幸な出来事を神の祟りと呼びがちであるが、これも人間が間違って信じている迷信らしい。例えば、代々病気で短命が多い家系は呪われているのではなく、そもそも遺伝子的に体が弱い体質で祟りとは何も関係のない場合が多いとか。最近怪我が多いとかも、霊や祟りが起因しているものはほとんどない。疲れが溜まって不注意になっていたり、鬱病の初期症状で判断力が鈍るとかもあるらしい。
まあ、何かしら心霊、不思議体験者に精神的な
苦痛な体験や疾患があることは聞くし
遺伝子的に短命とかは医療技術が進歩すれば
分かることだ。
でも、霊感が強いだけでそんなことまで
分かったりするの?
友人の話は、神様と呼べるものを見たことなくて「霊」とは別の「人の念や信仰心」が神なんじゃないかということだよね?
あってる?
神が存在しないなら霊や悪魔も存在しない
どっちも概念的なもんであって、もしホントに存在してんなら結局人の信じる信じないや信仰といった想いで出来てるんだから
言い方違うだけで根本的な部分は一緒だ
よく神社の拝殿の中にある丸鏡も、自分自身の内面を映し出すもので、それに向かって祈るということは自分自身に誓いを立てるという意味らしい。実際に神がそこに存在している訳ではないらしい。
古事記とかに載っている色んな神はあくまでも伝説の中の存在でしかなく、ファンタジーのためその神の名を口に出して霊障を緩和するということ自体がまず無理だと言っていた。
また、『霊感』というのは人間だったらみんなに備わっていて、強弱はあるが、ないということはあり得ないらしい。また、それは神の力でも何でもなく人間に元々備わっていた力で、文明が発達して便利になるとその力が不必要になって衰退していき、頭の奥深くに封印されるようになったとか。それが何らかの理由で封印されずに血を繋いできた者が俗に言う霊感が強い人ということらしい。
その霊能力を解放するには、古代の叡智を受け継いで自然と触れ合って共存していくしかないらしい。つまり、近代的な世界から離れて不便になることでより五感が研ぎ澄まされ、六感が生まれる可能性があるとか。だが、それでも完全に霊が見える状態に行くには難しいらしくやはり相当長い年月をかけて鍛錬が必要だそうだ。
>>617
漫画持ってるw
2巻しか持ってないから話の流れがまだ掴めないけど、そうなのか。
ピラミッドも宇宙人が人間に技術を授けてできたと言ってるけど、単に自分達が馬鹿なだけで昔のエジプト人は知恵を振り絞ってやってのけたんじゃないかなって考えるようになった。まぁ宇宙人説の方が面白いけどね。
霊を見るために一番やってはいけないことが、『自分の感覚に嘘をつくこと』らしい。気のせいだと思うことで、脳がそこでストッパーをかけて第六感の開花から遠ざかるらしい。
なぜ友人が霊を見ていながら『神』の存在を否定するのか気になったので聞いてみた。神という実体を持たないものは、霊が見える人でもこれが『神』であると断定できる要素がなく、思い込みの方が強いらしい。つまり、神ではなくても着ているものや身なりから神様のように見えるだけではないかと。
じゃあ霊の存在はどうして確信できるのかと聞いたら、本人の姿や仕草、そして見せてくれるものが「現実とリンクする」ことで初めて妄想ではなく霊だと確信するらしい。
かなり詳しく答えてくれたから、怪談を聞いた時の怖いというのとは別の怖さを感じたが、実に興味深い話を聞けたと思う。
ちなみに、安易に信じてしまいやすい古い歴史を持つユタやイタコも悪い意味でヤバい人がいるから気をつけた方がいいって。いくら代が繋がっていようともいつからその家系が始まったのかわからないからねって言われた。勝手に名乗っている人もいるとか。そういや生きてる人間降ろしてきたっていう話を動画かなんかで見たw
怪談話じゃなかったけどここで終わり。
引用元: https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1631828149/
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